会社員だった私が
小さなアロマサロンを
つくるまで
少々長いですが、
よろしければお付き合いください
10代の頃
私が生まれ育った福岡は、私がまだ子どもだった頃には、道端によもぎなどの野草が咲き、田んぼには蛙がいてレンゲ畑が広がり、大きな建物も少なくて家の外に出ると、あちらこちらから自然のいい香りが漂っていました。
ホッとできる静かなひとりの時間が好きで、やすらぎを求めて近くの公園や河原へと自転車でひとり、出かけていました。本が好きで、放課後はいつも学校の図書室で物静かに過ごし、食は細く、体は強くない子どもでした。
小学校5年生で生理が始まった頃から、学校を休むほどの毎月の痛みに苦しみ、小学生にして婦人科を受診することになりました。婦人科の先生からは「成長したら痛みもおさまるでしょう」と言われ、生理の痛みとは無縁の母親には痛みを理解されず、保健室の白い天井を眺めながら寝ているだけでした。
成長するにつれ、体調はよくなるどころか、元気でいられるのは生理後の一週間だけ。高校1年生でクリニックを受診した時に「更年期」と診断され、特に治療をすることもなく、心ない男性医師の対応に何も言えずに辛い日々が続きました。
毎月の痛みと、常にある体の不調。
部活もできず、勉強もおそろかになり、10代の私はだんだんと心も病んでいきました。
みつけたはずだった20代
部活も勉強も楽しくなかった10代。
何かに没頭することもなく、なんとなく生きていました。
高校を卒業してしばらく定職にもつかず、目標もなかった私でしたが、とある会社のアルバイトとして働くようになりました。
働くことの楽しさを知って、生真面目な性格だったこともあってどんどん仕事にのめり込んでいき、当時おつきあいしていた同級生のお相手からは「僕と仕事とどっちが大事なんだ」と言われてお別れに至りました。そのせいかどうか、今でもまだお嫁にはいっていません。
それほどまでに熱中していた仕事。仕事ぶりをかわれた私は、その会社で正社員として働くことになりました。それから、ますます仕事に没頭していき、毎日の仕事をこなすこと、毎月のノルマを達成することが生きる全てとなっていました。
毎月の生理の痛みは鎮痛剤で抑えて、数字のノルマをこなす日々。人材育成にも携わっていたので、休日はそのための勉強をしていました。夜遅くまでのサービス残業が当たり前の時代で、食事を作る時間もゆっくり食べる時間もなく、サプリメントが主食がわり。いつも心が休まらない、プレッシャーで押しつぶされそうな日々でした。
体を酷使して頑張っていた時に、男性上司からのパワハラを受けました。やりがい、生きがいを感じていたはずの仕事からの重圧、そして男性社会の厳しさを目の当たりにして、私の心はだんだんと、しぼんでいきました。
生活を見直した30代
仕事に生きがいを見出したからといって、10代の頃からの体調不良が急に良くなるわけはなく、やはり、薬やサプリメントに頼って長時間の勤務をこなしていました。
そのうちに、仕事へのストレス、プレッシャーから電車に乗れなくなってしまい、ひとりだけシフト勤務にしてもらって、自転車で片道30分の通勤をしていた時期もありました。
そんな頑張りもむなしく、男性上司からパワハラを受けたことで、私の中で何かが「プツっ」と切れ、ある日、突然なんの前触れもなく玄関から外に出られなくなってしまいました。この日から私の休職の日々が始まります。
心療内科で診断を受け、鬱の「お墨付き」をいただいた私は堂々と会社を休み、ようやく自分の時間を持てました。長い間のプレッシャーからの開放感。
近所の公園へとやすらぎを求めて、毎朝「出勤」するようになりました。
カフェに通って好きなコーヒーの香りに癒され、大好きな本に囲まれる図書館に入り浸ったりと、充実した日々を過ごして少しずつ元気を取り戻していきました。
今になって思うと、この期間は神さまがくれたプレゼントだったようにも思います。
そんなある日、たまたま通りかかったお店に「アロママッサージ」と書いてあるのを見かけ、ふらりと中に入りました。当時、日本ではアロマセラピーが広まり始めていて、エステティックサロンでもアロマを取り入れ始めていた時期でした。そのお店では「フットマッサージ」にアロマを使っていて、そこで私は、初めてのアロマを体験することとなります。
アロマの香りを嗅いだとたん、子どもの頃に自然の中で遊んだことや、仕事を休んで通い始めた公園の景色が頭に浮かびました。
そして、10代の頃からの長い間の心身の不調や、休職して社会から離れた情けない気持ちが一瞬で消えたかのように体が軽くなったのです。「アロマの香りってすごい!」
そこからアロマセラピーに夢中になり、資格を取るための勉強を始めました。
アロマの勉強をする傍ら、食事にも気遣うようになり、料理を始めてバランスの良い食事をしていくうちに、体の調子が良くなっていきました。
そうなると、体を動かしたくなります。
小学生の頃から生理痛に苦しみ、ひ弱だった私が外に出て太陽の光を浴びるようになりました。
簡単に始められるウォーキングを始め、当時飲んでいた薬もサプリメントも必要なくなりました。アロマセラピーとの出会いがきっかけとなり、私は生き方を変えたのです。
次第に「仕事で無くした自信は、仕事で取り戻したい」と思うようになった私は、もとの職場に戻り、職場に復帰してからも、仕事をしながらアロマの勉強を続け「アロマコーディネーター」という資格を取得しました。
どちらかというと体が弱かった子ども時代から、体調を壊していった10代。
太陽の光を浴びることもなく、食事もろくに取らず、仕事以外の楽しみもなく、朝から晩まで仕事をしてワーカーホリックから鬱となった20代。
アロマセラピーと出会ってからの私は、自炊を始めてきちんとした食事をし、睡眠をしっかり取って、体を動かしたり外に出たりするようになりました。
アロマセラピーのおかげで自分自身をいたわり、日々の暮らしを大切にするようになったのです。
今となっては、アロマセラピーと私の関わりは20年ほどになります。
アロマのある生活を長く送ってきた経験から、アロマは心や体の病気を治すものではなく「自分が変わるひとつのきっかけとなるもの」と皆さまにお伝えしています。
出会った方がきっかけで
熊本県で地震が起きた2016年。私は避難所で生活する方にアロママッサージをするボランティア活動に参加させていただきました。資格を取ったといっても、会社勤めは続けていた頃で、私は休日に被災地へと向かいました。
小学校の体育館で、避難生活をされているご高齢の女性の手を取ってオイルを塗り、ふわりとアロマが香った途端、その方のお顔がぱっと明るくなりました。
「なんだか、元気が出てきたよ」と言われて、その女性はご自分が熊本へと嫁いできたという、50年前のお話しをしてくださいました。
驚くことにその方は、当時、私が住んでいた町内から遠い熊本へと嫁いでこられていて「初めて会ったのに、なつかしい、なつかしい」と何度も言ってくださり「ご縁って不思議なものね」と最後にハグをしてお別れしました。
アロマを通じて、人に喜んでもらえること。私が好きな香りで人が元気になっていくこと。
熊本からの帰り道、私自身のこれまでを振り返って考え、ふとひとつの考えが浮かびました。
「アロマセラピーで、頑張っている女性たちを笑顔にしたい」
この出来事が、会社員だった私の人生を変えるきっかけとなり、後に「アロマセラピーサロンてのひら」が誕生します。
小さなサロン
「アロマセラピーサロンてのひら」では、アロマの香りを通して、頑張っているあなたの「心と体を健やかに導くお手伝い」をいたします。
毎日の家事や子育て、仕事をこなす頑張り屋さんのあなたが、今すでにある幸せをしっかり感じて、ストレスから解放されるように。心身をリラックスさせて、元気になっていかれるように。
あなたをサポートさせていただきます。
「頑張り屋さんのあなたの毎日を
アロマの香りで もっとハッピーに」
ここまで
読んでくださいまして
ありがとうございました